「ジバンシィ」の創始者が3月10日、91歳でこの世を去った。今年の春夏コレクションから同ブランドのアーティスティック・ディレクターを勤める、クレア・ワイト・ケラーは、こんなふうにインスタグラムに投稿している。
すでに1995年のコレクションを最後に引退した彼に、ちゃんと挨拶をしに行ったのだろうか? それとも他の時に出会ったのだろうか? いずれにしても、クレアの作る初ジバンシィのメンズコレクション、
バレンシアガ コピー 服すなわち今季の春夏ものは、そういえば、彼、ユベール・ド・ジバンシィの品のあるキャラクターに、どこか似ている。
貴族出身で長身でハンサム、パリのエレガンスと洗練の象徴と評されるデザイナーだった彼は、しかし、イメージよりも実はかなり大胆なデビューをしている。
1951年、24歳で初めて、自らの名を冠したコレクション発表を決意した時、彼はどうにも予算が足りなかった。まず、布地を買う金すらない。
そこで彼は、真っ白のシャツ地と生成り色のスーチング、すなわち型紙がわりに服の見本を作るための生地のみで作品を作った。だから、コレクションの全ては白。しかも、豪華な装飾のドレスが当たり前だった当時発表したのは、袖を膨らませた白いシャツブラウスと、ひざ丈のスカートばかり。
ところが、それがあまりにも新鮮で若々しくてお洒落!と大評判になり、一気にスターダムにのし上がる。今でいえば最先端のカジュアル!だ。ちょうどここ2年、袖をアレンジした白シャツがウィメンズのトレンドだが、それらは「ジバンシィの再来」とでもいいたいようなデザインが多かった。たとえば、あのマルタン・マルジェラは、自分もスタッフも全て白衣で仕事をし、オフィスもショップも真っ白に塗っていたが、まったくタイプの違うジバンシィのことを、少しは意識していたかも、と思う。マルジェラは予算の問題もあって、古着を材料に服を作り始めたのだから。
そして『ティファニーで朝食を』で、あまりにも有名な黒のミニマムドレスも、ジバンシィのデザインだ。
バレンシアガ通販オードリー・ヘップバーンの映画衣装の多くは、彼がデザインしていたから、オードリーを永遠のアイコンたらしめたのは、ジバンシィの服、といっても過言ではない。
実は彼は、クリストバル・バレンシアガの熱烈な崇拝者で晩年の恋人でもあった。だから1955年に発表した「革命的なシルエット」のドレスは、バレンシアガの特徴によく似ていた。それは体から離れたオブジェのようなシルエットを描き、世間を驚かせた。